ライター情報
丸山大貴
Writing / Daiki Maruyama
ここ西脇市には、蓬莱橋という「ここがあの鴨川リバーです」という嘘が、外国人観光客にならギリギリ通用しそうな(そんな嘘はだめです)、わりかし好風情な橋と河原が、かつては中心市街地だった場所にある。そのたもとにあるのが、今年ちょうど90年になる「住吉屋」さん。老舗の和菓子屋さんである。
このご時世、田舎で90年も和菓子屋を続けるのは、よほどの味が、いや味だけでもなかなか難しいかもしれない。
お一人で店を切り盛り廣田眞智子さん。お店は旦那さんのお父さんが創業したものだそうだ。神戸の住吉で修行をしたから「住吉屋」。このトリビアは地元民でも知ってる人は少ないのでは?
お店へ行くといつも、奥の調理場で作業をされている廣田さんがいて、お一人でお忙しそうだなと思いながらもこんにちはと、言えばこちらに気づいて手をとめて出てきてくださる。で、いつも少し話し込んでしまう。
ーーー「すみません、いっつもおかあさん(廣田さん)の手ぇとめて長いこと話してもらってもて」
「ああ、いいのよ全然。ここはこうしてお話をするところだもの」
気を遣わてしまったな、と思ったがどうやらあながち建前でもないようで、
「いつもこんな感じよねえ。若い方がいてくれたらいつもよりフレッシュでいいけども」
と、その時お店にいらした別のお客さんがそうおっしゃった。
お客さんと言っても、お店の中で座ってヨモギの下処理を手伝っておられた。
「いつもこうして、手伝って頂いてるのよ。それでゆっくりお話したり、まあいつまでに済まさなあかん、いうのでもないからねえ。晩御飯の支度までに帰ってたらいいか、くらいなもので」
「そうよねえ。気楽なものですよ」
と自然かつおだやかに会話が続いていっているのを見ていると、なるほど納得。
たしかにこの何に追われるでもなく、たとえ他愛のない会話でものんびりとお話をして、また思い思いに作業に戻ったり、ちょっと一休みでお話をしたりと、「アットホーム」と言うには和風なので「居間」っぽい、品のある井戸端といったところだろうか。
「みなさん、このお店には買いにくるんではなくて、お話をするために来られるのよ。もちろん帰るときにはなにか買って帰られるけど、ほんとにお話だけの時もあるし」
と廣田さん。
お店には、
それほど広くはないが、奥の調理場にいても声の届くいい距離感で、座れるスペースがある。
「若いとやっぱり仕事第一やけど、もうこの歳になったらこれでいいの。ゆっくりできるし、そんなにお金を稼いで稼いでってする必要もないし」
そうおっしゃる廣田さんの姿勢は、創業者であるお義父さんに影響を受けたものだという。
「60歳過ぎたら、もう入ってくるお金は、また出していったらええ、言うてね。お義父さんが言いよったったん、当時は全然わたしも分からなかったんだけど、今となってはすごい気持ちが分かるようになってきてねえ。」
どこか気品と心のゆとりがある方だったそうだ。
隣の多可町出身で23歳で西脇へ嫁いできた身である、廣田さんご本人も、(こう言ってはお叱りを受けてしまうかもしれないが)西脇らしからぬ気品をお持ちの方で、「ここが和菓子屋さんである」ということが相まってか、雑然としたところもある店内も、どこか上品さが漂う感じ。
空間に品をもたらしているのは、これのせいだろうか?
ーーー「おかあさん、なんか焼き物がこれ、全部かっこいいですね。お花もなんかワイルドやけど品があるいうような感じします」
「それ陶器はお義父さんの趣味なのよ。まだ何個かあるはずやから、そんな言うてもらえるんやったらもうちょっと出してきとこうかしらねえ。」
生花やお茶が趣味だったという先代のお義父さん。
もとは西脇で明治時代からの番傘屋さんのお家に生まれて、13歳で神戸に和菓子の修行に出るまでは、家業の手伝いで、3時間かけて姫路まで自転車で傘を売りに出ていたそうだ。
ーーー「どうして菓子職人になろうと思ったんですかねえ、お義父さん」
「さあ、それはどうやったかなあ。なんか聞いた気もするけど忘れっちゃったわ。でもこう手先が器用の人やったんやと思いますわ。お義父さんもそういうのが好きやったんでしょうね」
そのお義父さんのセンスが、今も店内に気品をもたらしていると思うと感慨深い。。。
(焼き物が分かる方、ぜひ見に行かれて見てください)
そしてお花は廣田さんが山で採ってきたものだそうだ。(!)
「ほらわたし、八千代(西脇市の隣町。山々、川、自然が豊か)の出ぇでしょう?昔から山が好きで、土とかお花とか触るのが好きなのよ。今でも山に採りに行って、その時にいいなあと思った枝物とかお花とかを採ってきて、それをここに飾ってるのよ。」
ーーー「へえ!おかあさんが採ってきたやつなんですね。なんかこの焼き物に挿れてもらって品よくまとまってるようでも、なんか野性というか山でもこんなふうに生えとったんやなあ、って想像できるようなそんな感じがありますわ」
「ほんと?ありがとう嬉しいわ。たまにね、神戸の方なんかでお花の先生をされている方が、ここへいらして、廣田さん今度どんなお花がいいかなあ、言うて来られるんですよ。それで私はその方が来られるのに合わせて、また山でいろいろ採ってくるんです」
ーーー「すごい、それおかあさんがお花の先生の先生というか、アドバイスと仕入れを手伝ってるいう感じですよね?フラワーコーディネーターや」
「いやそんな、お金もらったりはしてないんよ。わたしもそれが楽しみで、お花の先生がどんなふうに自分が採ってきたお花を飾るんかなあとか、採ってきたもの選びながら喜んでくれるのがやりがいで。また来週も来られるんやけど、もういまから緊張しちゃって。今時分に行って山にちょうどいいのが生ってるやろかとかね。」
水筒にコーヒーを入れて山へ持っていって、野草やお花を採ったりするのが日々の楽しみだそうだ。一人で行く時もあるし、お友達と山へ行くときは廣田さんが山のアテンド。
山がとにかく好きで、今の季節はどんな花が咲いてるかとか、今年はこんなふうに咲いてるとか、わらびがたくさん採れるなあ、とか。「庭いじり」のもっと広い版で「山いじり」と言ったところだろうか。
採ってきたわらびは山菜おこわになるそうだ。(おいしそうな山菜が採れたときの限定商品ですよ!通常時はお赤飯など)
そしてよもぎは、言わずもがなよもぎもち。
「わたし、山も好きだけど英語も昔から好きなのよ。今でも英語と、あとドイツ語を勉強しててね」
ーーー「へえ!ドイツ語まで!なんでまたドイツ語なんですか?」
「息子がドイツに住んでて、たまに電話したりするときにちょっとずつ教えてもらったりしてね。語学の勉強が好きなのよ。英語も中学と高校で学んだのがすごい楽しかったのがきっかけで」
ーーー「すごいなあ。ずっと勉強家でいらっしゃるから、お花も先生へアドバイスしたり、お菓子作りにも生きてたりとか」
「ああ、でも勉強が好きなのは語学ぐらいなもので、お花なんて全部これ我流だし、お菓子はそうは言ってもやっぱり仕事かなあ。ここへ嫁いできてお義父さんお義母さんがやってるのを見て、毎日手伝いしてるうちに気づいたらできるようになってたような感じよ。いまでもおままごとみたいな感じよ」
ーーー「でもずっと続けてこられただけの技術とか、仕事への思い入れとかはおありなんだろうし」
「まあ、仕事はこれしか知らないもの。手仕事は好きだけど、やっぱりこの仕事を気ままに続けてることで、ここでお話できるのが楽しくてやってる、というのもあるかなあ」
廣田さんの仕事観は、「好きなことをやるために食い扶持として割り切っている」でもなければ、単なる惰性でもなくて。
好きなこと(手仕事や野草摘み)ともリンクしているが、一方では「仕事」として向き合う適度な距離感があって、力感がなくて、職人ゆえの強いこだわりや気概みたいなものも特に感じない。(実際はあるとは思うが)
肩の力が抜けていて、品があって、山いじりとお店での会話、語学の勉強が楽しいという日々の原動力において、数あるうちの歯車の一つ、中くらいの歯車、毎日の規則性とハリをほどほどに与えくれる存在、そんなふうに感じた。
味や価格の競争から少し一線をおいたような、でも自分が楽しく取り組める範囲で、無理のない努力をされていて、時には山で摘んできたわらびで今日は山菜おこわ、手を止めて何気ない会話をするのも吝かでない(ように接してくださる)。
こんなお店が田舎にはあって、きっとここへ通って楽しくお話をして帰られるお客さんたちにとってのサードプレイスなのだろう。
そうは言っても、もちろん味はおいしい。コンビニやスーパーで「なんか甘いもん」買うくらいならここで買いたい。おすすめは三色団子とさくらもち。
取材に伺った僕が、わらびもちを買おうと廣田さんへお声掛けしたときには、
「あれよ、無理して買わなくたって、ほんとにおしゃべりだけして帰るお客さんもいっぱいいらっしゃるし、わたしはそれも嬉しいのよ」とおっしゃる。
(本当に食べたかったので買った)
その言葉通り、お店の入り口は誰も拒まないような開かれた印象で、店外からも座れるスペースが見える。そして、中からは他愛もない会話が聞こえてくる。
数回のコラムに渡って繰り返しになるが、
観光地ではない街のこうした土着のお店には、その街へ「入っていく」ための玄関としての役割が成立すると思う。
その日初めてその街へ降り立った人でも、そこで繰り広げられている「至って日常」の会話を聞くともなし聞いていたら、気づいたら会話の中にいて、気づいたらなんだかすでに住人になったような、そんな気持ちになっているのではないだろうか。
そしてそれは、けっこうホッとする。その日限りの旅行者でさえそうだと思うから、移住者や移住検討者なんかはなおのことだろう。
何気ない会話の中に、その街の過ごし方の空気というか、息遣いがあって、その土地の方言やリアルな言語がある。旅行者がひんぱんにいる街でもないから、その会話はよそものがいようと普段どおりであるし、旅行者慣れや商売っ気もないから、「どこから来たったの?」と自然と会話の中に入っていられる。
翌日行けば、歓迎はされるが意外なほど日常の出来事として扱われることに、却って戸惑う人もいるかもしれない。それほどに田舎で「顔見知り」はもうほとんど「身内」なのである。
「一度来たお客さんの顔は覚えてるよ、名前まではあれやけど。ああ、こんにちは言う感じやねえ」
と廣田さん。
昔から街にあって、街の人はみんな知っていて、街のことや街の人をよく知っている、そんなお店が西脇にはいくつかある。
どのお店も広告やネット情報はそれほど出ていない穴場、でも実はそういうお店こそが、街の玄関口ではないだろうか。
旅行者としてチェーン店で食事するよりも、ちょっと優越感も味わえる。
そんな住吉屋さんの裏名物がこちら。
一説には横尾忠則の処女作?とされるこの包装紙。そのデザインが現役で使われている。
この包装紙目当てで来店する人も中にはいるらしい。
昔は、横尾さんがこっち(西脇)へ帰ってこられるときに注文をしてくれたってね、と嬉しそうに話してくださった。
壁にはサイン。
昔はそうした注文、端午の節句に合わせたものや、お茶会の茶菓子にと、発注数に合わせて仕込んだりしていたそうだ。今はそれも減ってしまったとのこと。
廣田さんは、その頃よりもゆっくりできてそれはそれでいいのよ、とおっしゃる。
そうは言っても、今より少し忙しくなるのは許してくださるだろう、
甘党、横尾忠則マニア、それに限らず近隣へお立ち寄りの際は、ぜひ住吉屋さんで、むき出しのおだやかな地元の日常を感じてみてほしい。
〒677-0015 兵庫県西脇市西脇974-7
営業時間:9:00~17:00
※少し時間過ぎてしまうという場合は、TELにて連絡でお待ちいただけます。
TEL:0795-22-3198
ライター情報
丸山大貴
Writing / Daiki Maruyama