ライター情報
龍山千里
Writing / Chisato Tatsuyama
大手アパレルからの下請けで生産してきた歴史の長い西脇の産地で、自ら発信力と企画力を持ってものづくりをしている工場は少ない。それをしたくても、なかなか既存の流れから変化できない。結果が出るのにも時間がかかるから、色々な仕事を並行でやらなければいけない。これが、工場のひとつの現実だ。
大城戸織布は、その流れから外れたところで、自分たちのスタイルでものづくりをし続ける異端児的な機屋。周囲の当たり前をうたがって、仮説を実行しては改善していく。日常の仕事の中で、前進を続けるエネルギッシュで稀有な織物工場だ。
産地での取材を通して筆者が感じてきた違和感の一つは、機屋さんの多くが「子供には継がせたくないけど、次世代に残していきたい」という心情を抱えていることだった。デザイナー育成事業を市全体で取り組む地域のベクトルを踏まえると、やはり見逃せない矛盾だ。
多くの現場が抱える、下請けの体制から変われないという現状は、産業の最盛期や衰退など時代に対して素直に変化してしまうという「危うさ」がある。分業体制に慣れすぎてしまうと、自分たちの作るものがどんなお客さんに、どんなかたちで、そもそもどんな風合いで人の手に渡っているか分からない。最終の出口が分からないまま作り続けてきたことによって、産地自体が繊維産業の景気に左右されやすくなってしまった。
そんな現状を抱える産地内で、大城戸織布の動きは極めて特異。本来は産元という地元の生地商社が行うことが多い「糸の仕入れ」から、織りにとどまらず「仕上げ加工」まで自社でやろうと思い立った。これは分業制がふつうの播州産地ではいまだに異例だ。他の人が面倒でやらなさそうな工程を、あえて自分たちでできるようになることで作れるものの幅が広がり、結果的に今の会社の個性や得意分野へと繋がっていた。
そしてその方向性への伏線は今より前に、少しずつ張られていた。大城戸さん曰く、生産量が低下して元気がなくなった今やっても仕方がないとのこと。余力があるうちに考えては、仕掛けていくことが大切で、その為にはやはり自分で時代の先を見越していく力が必要不可欠だと話していた。
綿織物の産地である西脇では、すべての工場や仕事が綿織物に最適なようにカスタマイズされている。綿の扱いに関しては、日本一だろう。しかしその一方で、異素材を扱うことに関してのハードルはいまだに高い。経糸に綿以外の素材を使うなんていうことは、誰も苦労を買ってわざわざやってこなかった。
そんななかで大城戸織布では、綿以外の素材も積極的に実験・実践を重ねた。すると思いのほか、扱うことができる素材があることが分かった。知識が乏しい部分も、他産地との関わりを作ることで、技術的に向上し合えるネットワークをもてるようになったそうだ。足の引っ張り合いではなく、腕の引上げ合いができるパートナーが日本各地にいるのは大城戸織布の強みの一つだと話していた。
人と繋がることの大切さは、同業者同士にとどまらず、もちろんお客さんとの出会い方にも通じる。いかに、自分たちのものづくりに興味を持ってもらい、新しい仕事と出会えるか。
新しい出会いとはいうものの、織物工場である以上現場にいてこそ仕事がまわせる。だからこそ、遠くへいる人にも発信するため、毎日ブログを書き続けているのだそうだ。書くことは、仕事にまつわる日々の出来事や挑戦していること、素材のことなど。(ブログは、大城戸さんのみならず、大城戸織布で働くメンバー全員それぞれが書いている!)営業の基本は人。文章を通じて、人に伝えることも仕事の一つだと考えているのだそうだ。
「やろうとする人1000人、やる人100人、続ける人1人」。どんなことでも、続ける人、粘り強い人は信用できると話されていた。ブログを毎日書くことだって、簡単そうに聞こえて、なかなかできないことだ。
大城戸さんを始め、職人さんたちが発信する文章は5年後、10年後の未来を見据えて、進化し続ける大城戸織布の新しいものづくりが、日々の積み重ねで動き続けているということを教えてくれる。
連綿と紡がれた大城戸さんのブログはこちら
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